before
まずはこちらをご覧下さい。212年頃の様子です。
北東の柿色が公孫続領、領地はあっても中身スッカスカなショッカー軍です。
調子こいて海路から攻めちゃったので前線が分断&拡大。
各前線都市には将が3、4人ずつしか配置されておらず、
攻める事も守る事もできないまま各個撃破で領地も将も奪われ衰退の一途。
そんな手のつけられない有様です。
しかし窮地においてこそ一計を投じるのが軍師たるものの務め。
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after
軍師権限フル活用で大規模人事改革から約1年後の様子です。
と、大仰に言ってもやったことは至ってシンプルですが。
ゲームシステム的比重が領地>人材。
ならば領地を捨てて人材を集めればいい。
海路経由の南部領地を放棄して完全撤退、北部に将と兵士を集結。
したかったんですけど、一部取り残されました。
軍事行動はターンごとに1回というシステムのおかげで。
自分の指示より先に行動を済ませてしまった為、取り残されたのが、
よりにもよって君主ショッカーとその血族で跡継ぎ候補の範です。
あと楽進。退かない主義@蒼天をこんなとこで発揮せんでも。
after地図の南方ぽつん寿春に君主在中です。
ま、軍師たる自分ができる最大限はやりましたから。
それで公孫一族が滅んでもその時はその時。
それが殿の運命だったと潔く受け入れましょう。
むしろそれを狙ってるだなんてそんなことは。
こっちに跡継ぎきても趙雲にパスろうだなんてことは決して。
結局生き残りやがりましたしね。ちぇ。
馬騰(茶)も曹操様(青)も張昭(緑)もなんで攻め込んでくれないの。
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